光明皇后の楽毅論
楽毅論には、王義之が書いたものと光明皇后が書いたものがあるのをご存知ですか?
これらは、どのような特徴や違いがあえるのか、以下で解説させていただきます。
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光明皇后の楽毅論は、王羲之臨書の最高峰
正倉院に伝わる「楽毅論」は、光明皇后(701-760)が
奈良時代は、貴族の間で詩文が盛んにとりかわされ、
光明皇后は、早くから仏教に傾倒し、藤原不比等から受け継いだ財産を施薬院などの慈善事業に用いて人々の救済に力を尽くしていました。
天平勝宝8年(756年)に亡くなった聖武天皇の冥福を祈るために、遺愛の品々と共に東大寺へ献納されたのが、この楽毅論です。
王羲之の筆づかいの特徴をよくつかみ、原帖のよさをくっきりと浮かび上がらせた臨書の最高峰と謳われています。
王羲之の楽毅論を真摯な気持ちで繰り返し臨書したのではないでしょうか。
王義之が書いた楽毅論とは?
楽毅論は、王義之が348年(42歳)に書いた細楷です。
王義之の楷書の中では「楽毅論」が最もすぐれていると言われています。
字形は整っており、点画は筆力が充実しています。
点画を巧妙に組み合わせているだけでなく、目に見えない線で連続してる感じです。
王義之の楷書は、「楽毅論」「黄庭経」「東方朔書賛」「孝女曹娥碑」など、いずれも細楷書。
今の書とは性質が違っていて、当時の書は詩文や文書を書くためのものだったので、大字を書く必要がありませんでした。
結果、小字ばかりということになります。
楽毅論の内容は?
楽毅論は、中国、三国時代の魏の夏候玄が、
光明皇后とはどんな人?
光明皇后は、当時権勢を誇った藤原不比等の娘で、
正倉院に光明皇后が臨書した「楽毅論」が残っています。
中国の法帖におさめられている「楽毅論」よりも光明皇后の臨書の方が王義之の運筆の気構え、趣きをよく伝えているといわれています。
光明皇后と王義之の楽毅論の特徴
実際に王羲之と光明皇后の楽毅論を比べてみると、光明皇后の方が王羲之の原本よりも線が強く、メリハリがきいています。
王羲之の楽毅論は、全体的に書きぶりが穏やかな特徴があります。
「光明皇后の楽毅論」見どころ
- 光り輝くように美しいため、光明子と呼ばれた光明皇后の書は、女性とは思えない気迫に満ちています。
ただ王義之の楽毅論を真似るだけの臨書ではなく、リズムにのっていきいきと筆を運んでいる様子がうかがえます。 - 王羲之の書風に忠実に、正方形に近い字形を守っているが、横線は鋭く細く縦線はどっしりと太いという特徴が強調して書かれて
いるため、より力強い印象があります。
光明皇后 楽毅論の臨書 書き方のヒント
臨書のポイント
- 筆勢ある用筆・運筆
- 王羲之の書(楽毅論)と比較してみる
- 用紙は加工した白麻紙で書きます
光明皇后 楽毅論の臨書にオススメの紙・筆
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