祭姪文稿の特徴は?
祭姪文稿の読み方は、(さいてつぶんこう)で行書体、顔真卿の最高傑作の1つです。
非業の死を遂げた肉親への悲憤の情が、行間ににじみでています。
祭姪文稿の内容
758年 顔真卿50歳頃の書で、彼の最高傑作の1つです。
祭姪文稿は、書体は行書、争座位文稿・祭伯文稿とともに「顔真卿の三稿」といわれています。
安禄山の乱で殺された姪の顔李明の霊に告げた祭文(死んでから2年後の祭の時に読む文)の草稿で、彼が文章をつくるときの走り書きです。
彼の草稿のうち、現存するのは祭姪文稿のみで、現在は故宮博物院に保管されています。
祭姪文稿の特徴
祭姪文稿には、若くして死んだ姪を悼み、悲しみと憤りの感情があふれています。
感情表現豊かなこの書には、みるものの心を揺さぶるような響きがあります。
自由奔放な書きぶり、力強い筆圧と丸みのある線、篆書のおもむきがある用筆など、おおらかで野性的な書きぶりです。
祭姪文稿の臨書/書き方
- 直筆・蔵鋒
- ゆったりとした運筆と結構
- 粘りのある線質
- 率意(そつい)の書 人に見せるなどの意図をもたず心のままに書くこと
祭姪文稿の訳
乾元元年(758)、戊戌の年の九月庚午朔、3日壬申、第13番目の叔父で、銀青光緑大夫、使持節蒲州諸軍事、蒲州刺史、上軽車都尉・丹楊縣開国侯の眞卿が、酒食をお供えし、亡き姪で、朝廷から賛善大夫の官職を追贈された李明の霊魂をお祭りいたします。
お前は、ぬきん出た資質をもってこの世に生まれ、幼い頃から才徳をあらわし、我が顔氏一族の俊英として、朝廷で活躍するであろうと、常に人々の心を喜ばせており、究極の出世が約束されていました。
なのに、逆賊・安禄山が隙をうかがい、兵を挙げて反乱を起こすなどとはどうして予想できたでしょう。
お前の父、杲卿(こうけい)は、皇帝陛下に忠誠を尽くしていたため、常山群の太守(知事のこと)を拝命しており、私もその時、陛下の命を受けて、平原の太守として任地におりました。
杲卿仁兄は私を大切に思って下さっていたので、お前に伝言を持たせて私のもとによこし、お前が戻ると、力をあわせて要衝の土門閑を敵から奪回し、この土門閑が解放されたことにより、逆賊どもの勢いは大いに弱まったのです。
ところが、不忠の臣・王承業が援軍を出さなかったばかりに、杲卿が守っていた常山の城は孤立し、包囲され、父は捕慮となり、子は死に、あたかも巣が傾き、中の卵がくつがえるかのようになってしまいました。
この禍が天のあずかり知らぬところのものであったなら、いったい誰がこの苦痛を与えたのでしょうか。
お前が、こんな残酷な目にあったことを思うと、百度身代わりになったとしてもどうしても償えましょう。ああ、悲しいことです。
私は皇帝陛下の御沢を受け、転任して同州、次いで捕州の刺史となりました。お前の兄の泉明が近ごろ常山に訪き、お前の首を納めた棺を携えて戻ってきました。
お前があまりにも可哀想で胸がはりさけ、心も顔もふるわせつつ嘆きいたんでいます。しかるべき日を待ち、しかるべき所にお前の墓を設けましょう。霊魂となったお前がこのことを知ったなら、よるべない身を嘆くこともなくなるでしょう。
ああ、悲しいことです。どうかお供え物を受け取って下さい。
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