空海が日本書道に与えた影響
真言宗の祖であり、平安時代の代表的な仏僧である空海は、日本書道にどのような影響を与えたのでしょうか。
空海ってどんな人?
774-835年
弘法大師・空海は、密教を日本に本格的にもたらした平安時代初期の宗教家です。
日本の三筆といえば、空海、橘逸勢、嵯峨天皇ですが、その中の1人として優れた能書家です。
※能書家とは
歴史上の書人で、現在も名高い人物。現代の書家では、多くの書家から認められている人のこと。
空海は、書の名人として、国内では右に出る者はいないとされています。
「弘法にも筆の誤り」「弘法筆を選ばず」など空海が書道の名手と示すことわざがありますが、日本書道の祖と仰がれ、日本書道の水準を押し上げた立役者です。
日本書道史上初の書論家でもあり、「性霊集」には書道に関する有益な情報が多数掲載されています。
空海は、浅野魚養(あさのうおかい)に書法を学び、入唐後は韓方明に学んだと言われています。事実かどうかは不明です。
空海は、王羲之や顔真卿の書風の影響を受けつつ、楷書、行書、草書を巧妙に書くことが出来たばかりでなく、篆書、隷書、飛白を書くこともできました。
また小字・中字だけでなく、大字を書くこともできました。
空海の活躍の幅は、宗教だけでなく、文化、政治、芸術のあらゆる分野に渡り、各分野で大きな実績を残しています。書道においても同様で、空海は日本の書文化に多大な貢献をしました。
空海は、筆や紙の製法技術を唐で学びます。
能書家は、必ず良い筆を用い、書法によってそれぞれ異なる文字に応じて筆も変える必要があると伝えています。
「弘法筆を選ばず」のことわざがありますが、空海は厳密には筆を選択した人だったのです。
空海の真跡
格調が高い書といえば、まず空海がすぐ浮かびます。
できれば本物を自分の目で鑑賞されることで、空海の素晴らしさがより認識されると思います。
「三十帖策士さんじゅうじょうさっし」
在唐中の書。楷書・草書体。密教の教軌を写した真言宗の秘典。
「風信帖ふうしんじょう」
数年前、京都の博物館でガラス越しではありましたが、本物の国宝「風信帖」を見ることが出来ました。大変感激したことを覚えています。
最澄にあてた手紙というだけあって、実際はとても小さい文字でしたが、力強く、立体的に見え、圧倒的な存在感を放っていました。
「灌頂歴名かんじょうれきめい」
風信帖に最も近似する書風。灌頂を受けた人の人名録。
「座右銘ざゆうのめい」
「金剛般若経開題こんごうはんにゃきょうかいだい」
「大日経疏要文記だいにちきょうそようもんき」
空海の真跡の模写本
「狸毛筆奉献表りもうひつほうけんひょう」「益田池碑銘ますだのいけのひのめい」
「綜芸種智院式しゅげいしゅちいんしき」
空海の書風は?
古人の筆論に云はく書は散なり。ただ結裹を以って能しとするに非ず。
必ず須らく心を境物に遊ばしめ、懐抱を散逸す。法を四時に取り、形を万類に象るべし。此れを以て妙なりとす。
空海はこのように言っています。
空海の書はすべて一様ではなく、それぞれ時と場合に応じて最もふさわしい書き方をしているので、書き方にそれぞれ多少の違いがあります。
空海が入唐した頃、中国では顔真卿を中心とした新様式の書が流行していました。
初唐の三大家により打ち立てられた典型への反動が中唐に新しい風を吹き込んでいましたが、空海も顔真卿などに感化され、その書風を学んだとされます。
風信帖や灌頂歴名は、顔真卿の「祭姪文稿」に似ていると言われています。
空海の書の骨格は、王羲之を学んだことでより素晴らしいものにしたのでしょう。
空海関連の書道手本
風信帖・潅頂記 空海 (テキストシリーズ) 天来書院
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