爨宝子碑
爨龍顔碑
爨宝子碑ってどんな古典?
爨宝子碑(さんぽうしひ)とは、405年に建てられた地元豪族の墓碑で、晋の八分書の古典です。
拓本は、縦161×横63cm。13行、行ごとに30文字。
宋の爨龍顔碑と「二爨碑」と呼ばれ、爨宝子碑の方が小さいことから「小爨」とも呼ばれています。
爨宝子碑は、現在雲南省の曲靖県第一中学校内の碑亭内にあります。
爨宝子碑の書風
書体は、隷書と楷書の中間のような独特の書体、趙之謙・楊守敬らは八分体としていますが、近年では楷書と判断する傾向です。
隷書のような波磔などが見られますが、楷書のように正方形の字形で、隷書と楷書の中間のようです。同時期に王羲之が活躍する一方で、爨宝子碑の存在は、当時の南朝書道界の多様性を示す貴重な書蹟です。
爨宝子碑の時期は、隷書から楷書への移行期でしたが、戦乱などの混乱で書道に関する系譜が曖昧です。
実際には、当時既に楷書は成立していたということが後に発見された碑などから証明されており、現在では「隷書から楷書への変遷の兆しを示す書体のようではあるが、爨龍顔碑自体は過渡期を反映したものではない」ということになっています。
爨宝子碑の臨書 書き方のヒント
臨書のポイントは、
水平・垂直を基本とした字形の構成・横画の起筆と収筆、左右の払いの形・爨龍顔碑との書風の比較です。
爨龍顔碑ってどんな古典?
爨龍顔碑(さんりゅうがんひ)は、458年に建てられた地元豪族の墓碑で、南朝宋の楷書の古典です。縦320×横124cm。
東晋の爨宝子碑とともに「二爨碑」と呼ばれ、爨龍顔碑の方が大きいことから大爨とも呼ばれています。
爨龍顔碑は、表面の磨耗が激しいですが、何とか全文読むことが可能です。
現在、雲南省曲靖市陸良県の小学校内にあります。
爨龍顔碑の書風
爨龍顔碑は、楷書に酷似した書体です。
書法は、古風で優雅、がっしりとした骨法をそなえており、結構は変化があり壮大です。
楊守敬は、爨龍顔碑を「折刀の筆をまじえているが、また温醇で雅味があり、つめたさがない」と評しています。
北魏の「中嶽崇高霊廟碑」や宋の「劉懐民墓誌」と書風が似ています。
異体字も多く、その点も北魏碑の字体と同じ点です。
書風は、独特の楷書で六朝楷書に見えますが、現在では楷書風の書体であると考えられています。爨龍顔碑の時期は、隷書から楷書への移行期でしたが、戦乱などの混乱で書道に関する系譜が曖昧です。
実際には、当時既に楷書は成立していたということが後に発見された碑などから証明されており、現在では「隷書から楷書への変遷の兆しを示す書体のようではあるが、爨龍顔碑自体は過渡期を反映したものではない」ということになっています。