張旭という書家
張旭について
張旭(ちょうきょく)は中国唐代中期の書家です。
字:伯高
呉郡(現在の江蘇省)の出身。
李白・賀知章・顔真卿と親交がありました。
筆法は、陸彦遠から授かります。
酒を好み、泥酔すると叫びながら走り回って書くなどの奇行と変化極まりない狂草によって世間では張顛と呼びました。
杜甫は「飲中八仙歌」のなかで、「張旭三杯、草聖伝ふ。帽を脱ぎ、頂を露はす王公の前。毫を揮ひ紙に落せば雲煙のごとし」と張旭の揮毫の様子を詠んでいます。
張旭の特徴
張旭の書には、伝統的な楷書と革新的な草書(狂草)が併存していました。
草書においても字形は自由奔放でありながら、伝統的な筆法にもとづいて一点一画は明解に書かれています。
張旭の代表作品
張旭の書で確実なものは、「郎官石柱記」だけで、それも現在は拓本のみです。
自由自在に千変万化する張旭の書の中にあって、「郎官石柱記」は楷書として高い評価を受けています。
郎官石柱記(ろうかんせきちゅうき)
開元29年(741年)
郎官に任ぜられた者の名を六角の石柱に刻したもの。
自言帖(じげんじょう)
開元2年(714年)
張旭が自分の書風を立てるに至った由来を述べたもので、「自ら言う」と書き出しているのがこの書の由来。
王羲之の書風を伝える草書で、時として一画がむやみに長いが正統派の書風
その他の作品
残千字文・草書古詩四帖・十五日帖・晩復帖・肚痛帖など
盛喜 一輝 KAZUTERU MORIKI
大阪府堺市中区深井中町1994‐3
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