明月記とは
明月記の作者は?
明月記の作者は、藤原定家です。
藤原定家は、平安末期から鎌倉初期の激動期を生きた歌人です。
「新古今和歌集」「新勅撰和歌集」「小倉百人一首」などの撰者でもあります。
明月記について
明月記は、藤原定家が残した膨大な日記で、10代から80歳で亡くなるまでほとんど欠かさず日記を書き続けています。
明月記は漢文で書かれた難解な文章ながら、藤原定家の考えや日常生活の細かなこと(服装の流行や価値観、または愚痴や悪口まで)も書き込まれており、国文学上でも貴重な資料とされています。
「明月記」の名は、後に名づけられたもので、定家が命名したものではありません。
南北朝の頃から「明月記」と言われるようになったとされています。
藤原定家自身は「愚記」と読んでいました。没後、藤原定家の末裔内では「中納言入道殿日記」と言っていましたが、一般的には「定家卿記」と言われていたようです。
自邸の火災で1180年以降の日記は消失しています。
サイズ:27.7×690.9cm(部分)
東京国立博物館所蔵
明月記の書の特徴
藤原定家は思いのほか気性の荒い人で、書にも人柄が現れています。
スピード感があり、荒々しい人柄がみてとれます。
「明月記」では、自らの書を鬼のよう、と記されていますが、太細の落差に特徴があり、「定家様(ていかよう)」よばれ、珍重されるようになります。
「定家様(ていかよう)」は、後々、若山牧水や斎藤茂吉に好んで真似られたり、和菓子店の看板や包装紙などにも見ることがあります。
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盛喜 一輝 KAZUTERU MORIKI
大阪府堺市中区深井中町1994‐3