藤原行成ってどんな人?
藤原行成ってどんな人?
藤原行成は「ふじわらのゆきなり・こうぜい」と読みます。
(972-1027年)右少将・藤原義孝(よしたか)の長男、摂政・藤原伊尹(これただ)の孫。
父・義孝は、藤原行成が3歳のときに急死し、祖父も藤原行成が生まれたときに亡くなっていました。そのため、13歳のとき従五位下に叙せられますが、後ろ盾が無く、官位の昇進が思うようにいきませんでした。18歳で源泰清の娘と結婚。
24歳のとき、源俊賢が一条天皇に対して行成を推挙して蔵人頭になることが出来ます。その後、30歳で参議に任じられ、権中納言に昇進、大宰権帥を兼ねます。翌年には権大納言に昇進。
性格は、温厚で心がひろく、なさけ深い人で、職務に対しては精力的につとめ励んだ人とされています。
藤原行成と✕三筆→〇三跡
藤原行成の書跡は権跡(ごんせき)、小野道風の書跡は野跡(やせき)、藤原佐理(すけまさ)の書跡は佐跡(させき)といわれ、三跡(さんせき)とされています。
三蹟(さんせき)と書かれていることもあります。
また小野道風・藤原佐理・藤原行成のすぐれた手書き3人を、「三賢」と言います。
ちなみに「三筆」は、平安時代初期の空海・嵯峨天皇・橘逸勢のことを指し、唐で流行した王羲之などの書風に影響を受けています。
藤原行成の代表作
藤原行成の真跡は、以下の作品です。
白氏詩巻
行草体。白楽天の詩を模写した巻子本で、「白楽天詩巻」・「白詩巻」ともいいます。
巻首に「八月十五夜同諸客~」とあるので、「八月十五夜詩巻」「十五夜詩巻」といわれることもあります。
字形はよく整っており、点画はやさしくおだやかです。筆力が内在し、ゆっくり分かりやすく、はっきりと書かれています。
本能寺切
本能寺に所蔵されているため、この名がつけられました。
楷書・行書・草書の三体を混ぜて書かれています。はじめ刻意の書で、やがて率意の書になっていいます。
字形はよく整い、点画はやさしくおだやかです。お手本用に書かれたものと考えられています。
後嵯峨院本白氏詩巻
行書。もと後嵯峨院の御物だった白楽天の詩を書いた巻子本であるからこの名がついています。
自由に書いていますが、字形はよく整っており、点画はやさしくおだやかで、運筆に変化があります。
白氏文集切
行草体。中字の切と小字の切があります。
字形はよく整っており、偏は小さく旁は大きいのが特徴です。点画おだやかで、内在した筆力があります。はじめ太く濃く書いて、徐々に細く薄くなります。
陣定定文草案
行書体。陣定は公卿が左近衛府の陣の座で公事を議定すること、定文は議定されたことを参議が書いた文書のことで、草案は下書きか写しのことです。
点画おだやかで速く書いた感じはないため、後に定文を写したものと考えられます。
藤原行成消息
行草体。消息は速く書かれたものが多いですが、ゆっくり丁寧に書かれています。
字形はよく整い、崩れていません。点画はやさしくおだやかです。はじめ太く濃く書かれており、やがて細く薄くなっています。
※藤原行成の仮名の真跡は残っていません。
藤原行成の書の特徴
藤原行成は、小野道風の書を好んでいたようで、道風の書風に似ています。
書の特徴は、字形がよく整っており、点画は生き生きとしながら温和です。
みやびやかで美しく、整っていて上品な趣きがあります。
筆跡は手本として尊重され、広く流行しました。
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