藤原佐理ってどんな人?
藤原佐理ってどんな人?
藤原佐理の読み方は、「ふじわらのすけまさ・さり」です。
944-998年 左近衛少将・藤原敦敏の長男で、摂政藤原実頼の孫。藤原公任のいとこでもあります。
4歳のとき、父が亡くなり祖父に育てられます。23歳で左少将、35際で参議、47歳で兵部卿を兼ね、48歳で大宰府に赴任しました。55歳で亡くなります。
藤原佐理は如泥人(じょでいにん)といわれていました。
泥は南海に生息するといわれる骨の無い動物のことを指しており、水が無いと元気がなくなります。
ぐずぐずしている人、しっかりしていない人という意味です。
藤原佐理は書においては草書の評価が高い人ですが、「大鏡」によると、人柄に関してはものぐさで怠け者、酒飲みのぐうたらと辛辣な評価です。
現存している藤原佐理の書も過ちや失敗に対する詫び状ばかりというのも面白いです。
藤原佐理と✕三筆→〇三跡
藤原佐理(すけまさ)の書跡は佐跡(させき)、藤原行成の書跡は権跡(ごんせき)、小野道風の書跡は野跡(やせき)といわれ、三跡(さんせき)とされています。
三蹟(さんせき)と書かれていることもあります。
また小野道風・藤原佐理・藤原行成のすぐれた手書き3人を、「三賢」と言います。
ちなみに「三筆」は、平安時代初期の空海・嵯峨天皇・橘逸勢のことを指し、唐で流行した王羲之などの書風に影響を受けています。
藤原佐理の代表作
藤原佐理の真跡は、漢詩と消息があります。
離洛帖 りらくじょう
藤原佐理の書の中で最もすぐれています。
都を発つ際、摂政藤原道隆に赴任のあいさつをしなかったので、その失礼を詫びる消息です。
筆力・筆勢があり、運筆には緩急抑揚の変化があります。字形は概ね整いながら、自由に速く書いています。
国申文帖 くにのもうしぶみじょう
藤原為雅から関白の藤原頼忠(藤原佐理の叔父)に伝えることを依頼した消息です。
字形にこだわらず、自由に速く書いており、たくさんの文字を続けて書いています。
恩命帖 おんめいじょう
射礼の行事に使う矢の手配を忘れ、差し出した始末書
自由に速く書き流しています。字形が正しくないため、読むことが出来ない文字があります。運筆は巧妙で、点画おだやかです。
離洛帖に比べると、筆力・筆勢・変化は抑え目です。
去夏帖 きょかじょう
自分の屋敷の修造に関して提出した陳情書
自由に速く書いています。字の大小、太細の点画、濃淡の変化が多いのが特徴です。
頭弁帖 とうのべんじょう
はじめは字形を整えていますが、徐々に自由に速く書き流したような書きぶりです。
点画、墨色の濃淡の変化が顕著です。筆力・筆勢はおだやかです。
※漢字の書ばかりで、仮名の書は残っていません。また率意の書ばかりで、刻意の書は残っていません。
藤原佐理の書の特徴
藤原明衡は、「新猿楽記」のなかで、佐理の書の特徴を「一墨之様」といっています。
これは1行を1字のように自由に速く書き流していることをいいます。
藤原佐理の書は、自由に速く書かれており、独特の癖があります。対して小野道風や藤原行成は、字形が平正で、点画はおだやかで上品だったので長年流行しましたが、藤原佐理の書は流行しなかったようです。
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