楊沂孫(ようきそん)とは?
楊沂孫ってどんな人?
楊沂孫(ようきそん1813-1881年)
字:泳春
号:子輿
晩号:豪叟
江蘇省常熟出身
清時代の能書家であり、学者です。
若くして李兆洛(りちょうらく)に学問を学び、『管子』『荘子』に精通しました。
1843年に挙人となります。官職は安徽省鳳陽の知府になりますが、父の死で退官し、その後は仕えませんでした。
楊沂孫の書風 篆書など
楊沂孫は、特に篆書・隷書で有名で、呉譲之と同時の篆書の大家です。
特に篆籀(てんちゅう)に力を入れました。
最初、鄧石如の影響を受けていましたが、後に金文・石鼓文を研究します。小篆との融合を図り、美しい渇筆を多用して独自の書風を築きました。
自ら鄧石如と比較し、「隷書はかなわないが、篆書は肩をならべられる」自負しています。
呉大澂(ごだいちょう)に大篆書を学ぶように助言したり、呉昌碩(ごしょうせき)が楊沂孫の篆書を習って「石鼓文」に進むなど、後世に影響を与えた人です。
楊沂孫の代表作
在昔篇 - 文字学に関する考えを四言の詩にまとめたものを篆書で書いています
ほう公伝
※篆刻は印譜が2巻あったと伝えられていますが、現存していません。
盛喜 一輝 KAZUTERU MORIKI
大阪府堺市中区深井中町1994‐3