徽宗皇帝の書
徽宗とは
徽宗(きそう 1082-1135年)
姓:趙
名:佶(きつ)
北宋の第8代皇帝
第6代皇帝神宗の六男でしたが、周囲の強い後押しや兄弟の病死などで帝位につきます。
書画に優れ、北宋最高の芸術家の一人と言われています。
書画学博士らと書画古器物の鑑別整理を行い、「宣和書譜」「宣和画譜」「宣和博古図」「宣和印譜」を残します。
翰林院の書院・画院を保護し、書画算学を設け、作家の養成をはかりました。
政治はもっぱら家臣に委ね、ぜいたくな生活にふけって国費を浪費します。
政治力がないために国政は乱れ、金軍の侵入に際し帝位を子の欽宗(きんそう)に譲位します。
その後親子とも捕虜として拉致された後、抑留地(今の黒竜江省)で死去しました。
徽宗の代表作
楷書千字文・神霄玉清万寿宮碑(しんしょうぎょくせいばんじゅきゅうひ)などが有名です。
楷書千字文
神霄玉清万寿宮碑
徽宗の書風
徽宗の上記の代表作は、いずれも楷書体で、細い点画を滑らかに鋭く切り込む送筆は、行書風で転折や収筆で抑えを強調します。
繊細で、強い筆力による快速と流滑、高い技術で格調高い書風を形成しています。
痩金体(そうきんたい)という独自の書風をたてました。
金の章宗らに影響を与えました。
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盛喜 一輝 KAZUTERU MORIKI
大阪府堺市中区深井中町1994‐3