顔師古の等慈寺碑とは
唐時代の等慈寺碑という古典をご紹介いたします。
唐は、楷書が均齊美に完成された時期で、太宗によって国家の制度として書法が保護された時代です。
同じ時代に九成宮醴泉銘・孔子廟堂碑・雁塔聖教序などの代表的な書がありますが、「等慈寺碑」は、どのような書なのでしょうか。
等慈寺碑とは
等慈寺(とうじじ)は、629年(貞観3年)に太宗の命によって戦没将士の菩提を弔うために建てられたお寺で、等慈寺碑は637年から641年(貞観11年から15年)の頃の碑です。
碑高245cm×幅117cm
碑額:篆書陽文「大唐皇帝等慈寺之碑」と3行
本文は楷書32行、行ごとに65字
顔師古とは
等慈寺碑の撰文と書は、顔師古(がんしこ 581年 – 645年)とされています。
顔師古は、唐の学者、「顔氏家訓」を著した顔之推の孫で、顔真卿の曽祖父の兄弟にあたります。
欧陽詢や虞世南と同じ時代に生きた人です。
出生地:琅邪郡臨沂県
諱:籀
字:師古
等慈寺碑の特徴
等慈寺碑は、初唐に書かれた北魏の書風を受け継いだ楷書です。
書風は、北魏の「高貞碑」に似ています。
鋭い起筆とおだやかな運筆、力強く骨太で、字形はまとまりがあり整っています。
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盛喜 一輝 KAZUTERU MORIKI
大阪府堺市中区深井中町1994‐3