裴鏡民碑・孔穎達碑
裴鏡民碑とは
裴鏡民碑(はいきょうみんひ)は、貞観11年(637年)に建てられた碑で、別名「益州刺史裴鏡民碑」ともいいます。
書は、字画は細かく巧みで、虞世南の書に似た楷書です。
楊守敬(ようしゅけい)と康有為(こうゆうい)は、裴鏡民碑を非常に高く評価しており、「欧陽詢と虞世南の優れたところを兼ね備えている。」と言っています。
翁方綱(おうほうこう)は、「欧虞に具体せるも、風韻に於いては及ばず。」と言っています。
裴鏡民碑の作者は?
裴鏡民碑の筆者は、殷令名(いんれいめい、生没年不詳)です。
出生地は、陳郡(河南省)、代々書画をする家系で、父(殷不害)や従伯父(殷嶠)は、欧陽詢や虞世南と同じ初唐の貞観年間に活躍した名高い書家とされています。
殷令名の子の殷仲容も高宗時期から武周にかけて書家としてよく知られています。
殷家と顔家は深い姻戚関係がありました。
殷令名の現存する書は、「裴鏡民碑」のみです。
楷書の書法の完成度は、大変高いと評されています。
裴鏡民とは
裴鏡民
字:君倩
裴鏡民は、初め北周・隋に仕え、晩年、西南道行台兵部侍郎・益州総管府司馬となります。
開皇16年(596年)に西南夷の追討に総司令官として向かったとき、戦死したといわれています。裴鏡民碑は、裴鏡民没後42年目に聞喜県に在った裴氏の祠堂に建てられた碑です。
孔穎達碑とは
唐・太宗の陵墓に埋葬された孔穎達(くえいたつ)の碑です。
虞世南の書と伝えられている時期があったほど、虞世南の書に似ています。
孔穎達とは
孔穎達(くえいたつ 574 – 648年)は、中国初唐の儒学者です。
字:沖遠
諡:憲
出生地:河北省
隋に仕えた後、唐で国子博士や国子監祭酒になります。
孔穎達らに五経の義疏の撰述を命じ、完成したのが「五経正義」であり、孔穎達の最も著名な業績です。
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