書家 手島右卿の書
- 手島右卿とは?
- 手島右卿の書風
- 手島右卿の臨書 書き方のヒント
手島右卿とは?
手島右卿(てしまゆうけい)は高知県出身
本名:南海巍(なみき)
号:右卿(ゆうけい)
昭和の三筆の一人
妻は仮名書家の手島小華、元プロサッカー選手の岡野雅行は孫にあたります。
14歳で川谷尚亭に学び、28歳で比田井天来の門下となり、王羲之の書法を学びます。
1952年には独立書道会(現在の独立書人団)を結成します。
1958年ブリュッセル万国博覧会「近代美術の50年展」に日本代表として富岡鉄斎、梅原龍三郎、井上有一とともに出品した「抱牛」が
最高殊勲金星受賞。書道芸術の国際的評価を高めます。
専修大学教授、日本書道専門学校初代校長
前衛書が文字性を失って抽象画に近づいているとき、もともと画家志望であった手島右卿は、書の古典への素養が深かったこともあって文字性のある造形書を模索していました。
1949年に日展に発表された「背山臨濤」は少字数による斬新な発想が注目されましたが、1954年には「虚」1字を淡墨で表現して、新しい書の可能性を切り開きます。
1955年の独立書展に発表された「抱牛」はこれをさらに一歩すすめたもので、
1958年にはブリュッセル万国博の「近代美術の50年」展に指定されて出品し、富岡鉄斎、梅原龍三郎をさしおいて国際的な評価をえました。
手島右卿の書風
手島右卿は、晋・唐の書や空海、貫名菘翁をはじめとする名筆を幅広く臨書し、その骨法と理を会得し、新古典主義を確立します。
少字数の書を開拓し、象書と称して書の象徴性を追求した表現様式は現代の書道界に大きな足跡を残しています。
手島右卿の臨書 書き方のヒント
随時追記予定
盛喜 一輝 KAZUTERU MORIKI
大阪府堺市中区深井中町1994‐3