近衛家熙とは?
近衛家熙の読み方
近衛家熙は、「このえ いえひろ」と読みます。
近衛家熙ってどんな人?
1667-1736年 関白 近衛基熙の子、母は後水尾天皇の皇女 常子内親王、関白 近衛信尹の五世の孫。
江戸時代前期から中期にかけての公家です。
幼名:増君
7歳で元服し、右少将に任ぜられた後、右中将に昇進、10歳で権中納言、20歳で内大臣となります。
元禄6年(1693年)に右大臣、宝永元年(1704年)に左大臣、41歳で関白に就任します。
宝永6年(1709年)に中御門天皇の摂政となり、翌年には太政大臣に任ぜられますが、正徳元年
(1711年)に太政大臣を辞し、享保10年(1725年)准三后になります。
59歳で出家し、予楽院真覚と号します。
70歳で亡くなります。
近衛家熙は、博学、多芸多能な人で、特に茶や絵に精通していたようです。
近衛家熙の書風
書道は、はじめ加茂流を学び、近衛家や他に伝わる空海・小野道風らの書に学びます。若いときから、和漢の名筆の臨書に努めた人です。
歴代の近衛家は能書として優れていましたが、特に近衛家熙は傑出しています。
近衛家熙の書は、字形がよく整っており、漢字の点画、かなの線は秀潤温雅であり、流麗です。
書風は、上代様にして非常に巧妙です。
盛喜 一輝 KAZUTERU MORIKI
大阪府堺市中区深井中町1994‐3