烏丸光広とは?
烏丸光広の読み方
烏丸 光広は、「からすまる みつひろ」と読みます。
烏丸光広ってどんな人?
烏丸光広は、江戸時代前期の歌人であり能書家です。
1579-1638年
准大臣 烏丸光宣の子
わずか5歳で侍従になり、11歳で右少弁になり、左少弁、蔵人、左中弁、蔵人頭・右大弁を歴任し、参議になりますが、勅命による勘当を受けます。後に権中納言、権大納言に昇進し、60歳で亡くなりました。
細川幽斎から和歌を学び、特に歌人としてすぐれていましたが、多才多芸な宮廷文化人として、和歌の他に、書や茶道も得意としました。
歌集:黄葉和歌集
著書:耳底記・あづまの道の記・日光山紀行・春のあけぼのの記
仮名草子:目覚草
書作品:東行記
烏丸光広の書風
烏丸光広は、本阿弥光悦から書法を学んだと言われていますが、書風は光悦とは似ていません。
ともに自由に速く書いていますが、烏丸光広の方が運筆が速いようにみえます。
非常に個性が強く、形の上から極めて捉えにくいところがあり、手本になりにくく、寛永の三筆の書のように人々に流行することはありませんでしたが、歌人であり能書であったため、特別に尊重されていました。
烏丸光広の書風は、持明院流、定家流、光悦流、光広流と変遷したと考えられています。
小字の筆跡が多く残されています。
烏丸光広は、寛永の三筆とほぼ同時期の書人で、寛永の三筆とならび称されています。
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盛喜 一輝 KAZUTERU MORIKI
大阪府堺市中区深井中町1994‐3