楊守敬とは?
楊守敬の読み方
ようしゅけい
楊守敬てどんな人?
楊守敬(よう しゅけい)
楊守敬は、清代末の学者であり、蔵書家・文人で、金石学に通じていました。
1839年5月27日-1915年1月9日(清・道光19年-民国4年)
字:惺吾
号:隣蘇(りんそ)
出身:湖北省宜都(ぎと)県の人
「隣蘇」の号は、楊守敬が50歳(光緒14年)のとき、書庫を建てた場所が蘇東坡(蘇軾)の赤壁にあたることが由来で、書庫を「隣蘇園」といい、自らを「隣蘇老人」というようになります。
光緒6年(1880年)駐日公使の何如璋(かじょしょう)の招きで来日します。
4年間の在日中は、日下部鳴鶴や巌谷一六、中林梧竹などの能書家とも親交があり、六朝碑学を広めました。
国内に碑学派の書が普及したのは、楊守敬が大きく影響しています。
日本では中国国内ですでに逸文となっていた古典籍(佚存書)を収集した。
日本の古典籍も収集していて、中でも将門記の真福寺本とは別系統の写本から書写された楊守敬旧蔵本が知られている。
日本での購書ぶりは凄まじく、島田翰によれば街じゅうの書店が空になるほどだったという
帰国後は勤成学堂の総教長を務めた。隣蘇園を築き、多くの蔵書を所有した。
欧陽詢の書風を受け継いだ能書家としても知られ、
楊守敬の書法・特徴
楷書・行書・草書・篆書・隷書の各体にすぐれていました。
執筆法は、張照(ちょうしょう)の帖派流により、帖と碑を混成した書風です。
馬宗霍(ばそうかく)は、「楊守敬は欧陽詢の書法を基準とした。行書はほぼ縦筆を帯びていて、翁方網(おうほうこう)に勝っているが、小楷はなお及ばない」と評しています。
楊守敬の著書
歴代地理志図(地理学)
水経注図(地理学)
水経注疏(地理学)
隋書地理誌考証(地理学)
寰宇貞石図かんうていせきず
鄰蘇園帖りんそえんじょう
日本訪書志にほんほうしょし
留真譜りゅうしんふ
古逸叢書こいつそうしょ
学書邇言がくしょじげん
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