空海の書 風信帖について
風信帖とは?
風信帖ふうしんじょう(812年頃)は、空海が最澄に宛てて書いた手紙の1つで、最澄に答えた返書3通から成っています。
名前の由来は、書き出しに「風新雲書」(風の便り、雲の便り)とあることから、
第1通の書きだし「風信雲書~」が三通の総名となって、風信帖です。
第2通、第3通はそれぞれ冒頭の二文字をとって「忽披帖」「忽恵帖」とも呼ばれます。
第1通は宛所に「東嶺金蘭法前」と書きます。
東嶺 → 京都の東にある山 → 比叡山 のこと
金蘭 → 交じりの深くて固いこと → 最澄 のこと
第2通は宛所なく、文中の「左衛士督」は二人と懇意にしていた人物
第三通の宛所「止観座主」=最澄
張りつめた線の強さ、文字構成力の大きさ、空海の著名な真跡の中でも最高の位置にある作品です。
言うまでもありませんが、空海と最澄は、平安時代の初期に並び称された高僧で、この2人は大変親密な関係にありました。
奥書によると、もともと東寺には空海の書状が5通ありましたが、
空海が風信帖を書くまで
空海は讃岐(川香川県善通寺市)に生まれ、31歳のときに遣唐使
その際、
後に橘逸勢、嵯峨天皇とともに(三筆)と称される能書ぶりを示すエピソードです。
※能書-文字を書
空海は少年時代に王義之の書法を学び、入唐してからは当時流行していた顔真卿(がんしんけい)の書風も学んだようです。
彼の能筆は中国でも名高く、欧陽詢の真跡、八分書、鳥獣飛白書など数多くの書跡を携えて帰朝しました。
中国の書に多大な影響を受けた空海ですが、空海の作品には、唐風の書には見られない和風の優美さも兼ね備えており、
日本における芸術としての書は、空海にはじまるといっても差しつかえないでしょう。
また、その書風をやや装飾的に誇張したものが、
※大師流-空海の書風を模範とする書流。力強く重厚な線質とゆれるようなハネ、ハライなど装飾的な側面をあわせもっているのが特徴。
ちなみに弘法大師と言う号は、
その他、空海が高雄山寺で金剛・胎蔵両界の灌頂を授けたときの人名を控えたメモ的な記録「灌頂記」があります。
これは空海の真筆であると同時に、二度の灌頂で最澄の名が筆頭に記されていることから、日本仏教史上の重要な文書としても有名です。
風信帖の見どころ
- さりげなく書かれていますが、行書を基調に楷書、
草書的な筆致が混ざり合っています。非常に変化にとんだ格調の高い書です。王羲之をベースに顔真卿、飛白体など当時の様々な手法をマスターした空海の力量が現れています。 - 字間を広く開けながらも、流れが途切れないよう、
筆を放った空中でも精神が紙面に集中していることにも注目してく ださい。
~書道ライフを快適・豊かに~
書道専門店 大阪教材社